【連載・写真のひみつ】第30回 夕

日没2時間前
夕方、太陽が西の空に傾きはじめると、光は斜めから差し込むようになり、風景の明暗がより明確になっていきます。加えて、光は徐々に赤味を増してくるので、風景に力強さが宿っていくのです。4色(CMYK)の印刷物では、赤を強くすると写真のボリュームが増しますが、それと同じことが自然界でも起きています。

光と色の変化は、太陽が沈む2時間くらい前からはじまり、時間の経過とともに強調されていきます。そして夕陽が沈む直前にクライマックスを迎え、隠れると同時にサッと幕が下りるのです。

日中、各地を巡っているときに絵になる風景を見つけたとします。写真を撮っているときに、「よし、夕方に戻って来よう」と心に決めます。数時間後、再び同じ場所を訪れ、夕陽に照らされた風景の撮影を行うのです。

カナダ、プリンスエドワード島で生み出した代表作「フレンチリバーの漁村」は、夕方再訪したときに撮影しました。

プリンスエドワード島、フレンチリバーを捉えた代表作。日没30分前に撮影した。

プリンスエドワード島をテーマにした写真展は、今でも全国各地で開催しています。ある会場で、実際に島を旅したことがある人がこんなことを言っていました。

「昔から憧れていたプリンスエドワード島を訪れてみたのですが、残念ながら吉村さんの写真集にあるような風景と出会うことが出来ませんでした」

詳しく聞いてみると、島を旅したのは7月のベストシーズン、それも毎日晴れたとのこと。そんなパーフェクトな状況下であるにも関わらず、なぜ島の絶景と対峙する夢が叶わなかったのでしょうか。

島を訪れる日本人観光客は、基本ツアーバスに乗って各地を巡ることになります。朝9時に街のホテルを出発し、郊外に点在する観光施設や有名な風景を訪れます。そして夕方17時には街に戻り、いったん解散。夕食は19時で、21時にはホテルの部屋に入ります。

7月のプリンスエドワード島の日没は21時前後です。つまり観光客の皆さんがツアーを終えて街の戻る17時は、まだ日中と言ってもいいほど島全体が明るいのです。

光と色に劇的な変化が現れるのは、日没の2時間前、つまり19時過ぎになります。島の風景が最も魅力的になる時間帯、写真家の私がベストショットを量産している時間帯に、観光客は誰一人として島を巡っていないことになるのです。これでは、写真集で紹介している風景を見ることが出来なくて当然でしょう。

私はいつもこんなアドバイスをしています。

「次にプリンスエドワード島を訪れたら、プライベートツアーを申し込み、19時頃から各地を巡ってみてください。そうすると、写真集にある風景と巡り会えます。もちろん早朝もお勧めです」

マジックアワー
夕陽が沈む直前の光景も魅力的です。そのまま真っ赤な太陽を画面の中に入れて撮ってもいいし、赤い光に照らされた地上の対象物にカメラを向けてもいいでしょう。

夕陽が地平線や水平線に隠れると、突然明かりが消えたように風景は照度を落とします。そしてもう一つ魅力的な世界がはじまります。そう、「マジックアワー」です。

マジックアワーとは、太陽が沈んでから夜の闇が訪れるまでの時間帯のことを言います。この1時間あまりの時の流れには二つの特徴があります。

まず、眩しい太陽光がないので、地上にあるすべてのものから影が消えること。民家や納屋、電柱や案内版、そして風景の中に佇む人でさえも、コントラストが失われ、やわらかい光につつまれてしまうのです。

もう一つの特徴は色彩です。夕陽が沈んだ後の空はピンクやパープルで、稀に夕焼け雲が出ているときはオレンジ色をしています。その暖色系の淡い色彩が地上にあるすべての風景をほんのりと染め上げ、ロマンチックな世界を作り出してくれるのです。

マジックアワーの時間帯に写真を撮るのは簡単です。強い光による露出のバラツキがないので、カメラ側の設定はオートのままでOK、ただシャッターを切るだけで適正露出の作品が生み出せます。露出補正ダイヤルによるプラス、マイナスの切り替えは必要ありません。

また、空の色がカラーフィルターの役割を果たし、風景を魅力的な色彩で撮ることが可能になります。マジックアワーの時間帯に女性のポートレートを撮ると、全身がほんのりとピンク色に染まっていることに驚くでしょう。

フランス、パリのマジックアワー

マジックアワーは、何年も前から映画関係者の間で話題になっていました。柔らかな光につつまれたこの時間帯にカメラを回すと、凝った照明装置を使わなくても、人物や風景を劇的に美しく見せることができるのです。テレンス・マリックの監督作品『天国の日々』は、夕暮れのシーンはすべてマジックアワーで撮影されています。二谷幸喜監督作品『ザ・マジックアワー』でも、村田大輝を演じている佐藤浩市氏が、夕空を眺めて「世の中が一番綺麗に見える瞬間」と熱く語っています。

東京品川にあるキヤノンSタワーで写真展の開催が決まったとき、テーマは「マジックアワー」でいこうと決めました。世界を巡る旅で、この時間帯に生み出した作品がたくさんあり、いつかまとめて発表したいと考えていたのです。都会の喧噪の中で、静けさに満ちた楽園のような空間を生み出してみたいという思いもありました。

私は20年分の膨大なフィルムとデータの中から、夕陽が沈んでから撮影した作品の選び出しを行っていきました。真っ赤な夕陽の作品や、黒い夜空に星が瞬く作品も混ぜたい衝動に駆られましたが、グッと我慢し、日没後1時間以内に捉えた作品だけに絞ってみたのです。

大判サイズに引き伸ばした約60点の作品パネルが完成しました。会場内を真っ暗にし、スポット照明によって個々の作品額のみを照らします。まるで夕暮れ時に世界の街や村を旅しているような叙情的な世界が誕生しました。

同テーマの写真集を作るにあたり、一つ頭を悩ませる問題がありました。それは、表紙に適する作品がなかったことです。デザイナーは、中央に「MAGIC HOUR」というタイトル文字を入れたいとのこと。しかしどの作品も、対象物を中心に置いているので、文字を入るスペースがありません。

そこで私は、表紙の写真を撮りに海外に行くことにしました。選んだのはアメリカ、ワイオミング州グランド・ティトン国立公園。写真家になってからはじめて、マジックアワーだけを追い掛ける旅をしたのです。

ティトン山脈の麓に広がる牧歌的な世界に身を置き、太陽が沈んだ直後と昇る直前、つまり1日の中で2回訪れるマジックアワーの世界を狙いました。

淡い光の粒子があたり一面に降り注ぎ、素朴な納屋の存在感が増していきます。そのときふと、この国で活躍した偉大な画家たちの視線を少し垣間見た気がしました。私は祈るような気持ちで写真を撮りながら、やはり一日の中でマジックアワーの時間帯が一番好きだと思いました。

そしてこれからも、この地球の最も美しい姿を追い求め、世界を巡る旅を続けていこうと心に誓ったのです。

写真集『MAGIC HOUR』の表紙

【次号へ続く】※ 次はブルーモーメントです。

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