第39回 「黒」について

黒い夜景

 クリスマスの写真集『SILENT NIGHT(サイレントナイト)』を制作していたとき、黒をテーマにした作品が少ないことに気づきました。写真集は、東部カナダのクリスマスのイルミネーションを雪景色と共に紹介していく構成です。20年間の中で撮り溜めたポジフィルムの中から作品を選んでいたら、ライトテーブルの上には青っぽい作品ばかりが並んでいきました。

 その理由ははっきりしています。私自身、夜景を撮るときは、あえて空が青く染まるブルーモーメントの時間帯を狙ってカメラのシャッターを切っていたからです。黒い空より青い空の方が魅力的な夜景に仕上がるという勝手な思い込みで、作品世界を限定していました。

 そこで、12月に行うクリスマスの取材で、空が黒い夜景を意識して撮影してみることにしました。ケベックシティ、ローレンシャン高原、プリンスエドワード島を巡り、煌びやかなクリスマスのイルミネーションを次々と切り取っていきます。いつもはブルーモーメントの時間帯が終わると宿に戻るのですが、空が真っ黒になるまで野外で待機し、撮影を続けました。

 この取材で生み出した「黒い作品」は、その後形になった写真集『SILENT NIGHT』の中で何点か発表することができました。青い世界と黒い世界が交互に現れることで、本の中にワクワクするようなリズムが生まれたと思います。

 私はクリスマスの撮影を通して、改めて夜の魅力を知りました。空が青くなるブルーモーメントの時間帯は、確かにパッと見の華やかさがあります。しかし夜の時間帯にも、黒を基調にしたまた別の美しさが潜んでいるような気がしてきたのです。何より感じたのは、黒い作品が持つ不思議な「力強さ」でした。

あたりが完全に暗くなってからイルミネーションの撮影を行った。(写真集『SILENT NIGHT』より)

SLの黒

 写真人生の中で、もう一つ黒い被写体を追いかけたことがあります。それは「SL」です。日本全国いたる所に静態保存のSLがあり、私の生まれ故郷長野県にも30体ほど残されていました。それらをすべて撮影し、写真集を作ってみようと考えたのです。もちろんこれは、SLの「黒」をテーマにしたわけではありません。たまたま選んだ被写体が黒だったということです。

 撮影の旅は、2018年春からスタートしました。まずはSLが置かれている公園や空き地をリストアップし、カーナビの地図を頼りにその場所へ向かいます。そして8×10インチ大型ビューカメラを使って撮影を行いました。

 SLと対面するとやはり興奮します。すでに何年も前に引退しているとはいえ、マットブラックに塗装された黒いボディには、人を威圧するような強烈な存在感があるからです。たとえばSLがカラフルな色に塗られていたとしたら、力強さは微塵も感じないはずだし、そもそも風景の中で妙に浮いた存在になっているでしょう。多くの人はSLを保存しようとは考えなかったと思うし、私自身、SLをテーマに作品を生み出すことはしませんでした。

 実は、この生態保存SLを大型カメラで撮るプロジェクトは、すべてモノクロームのフィルムを使って行われました。SLの周辺にある緑輝く樹木、満開の桜、カラフルな花壇の色彩に惑わされることなく撮影し、そして作品を見る側にも、メインテーマとなるSLそのものを注視し、咀嚼してもらいたかったからです。色情報は全く必要としませんでした。

8×10カメラ+モノクロームの組み合わせで生み出した写真集『SL×信州』

大切な黒の締まり

 世界を巡りたくさんの風景写真を生み出してきましたが、実はそれらの作品の中に共通してあるのが「黒」です。樹木、岩山、建物、草花、動物、車、電車、飛行機、そして人物にいたるまで、被写体が影になっている部分には必ず黒が存在します。

 ではそれらの被写体を、肉眼で見るとどうでしょうか。実は、写真では黒として写っている部分にはすべてトーン(調子)があることがわかります。そう、人の目は黒の濃淡を的確に捉えているのです。つまり作品の中にある黒は、被写体のシャドー部が潰れることによって生み出された黒ということになります。

 いわゆる「黒つぶれ」と呼ばれるこの現象、毛嫌いする写真家も多いのですが、私は好意的に受けとめています。たとえば一本の木。幹や枝の側面に黒い部分が生まれるからこそ、その木の立体感が強調され、存在感が増してくるのです。車の写真にしても、タイヤの部分が黒くキュッと締まっていると重厚感を感じます。私は黒つぶれこそがスチール写真の醍醐味と考えているのです。

木の側面と後ろにある潅木は黒つぶれしているが、違和感はない。むしろ力強さを感じる。

 シャドー部分の描写力は、ポジフィルムよりもデジタルカメラの方が優れています。近年はデジタルカメラを使うことにより、シャドー部分にトーンが宿る作品を簡単に生み出せるようになってきました。

 しかし、作品の中にあるシャドー部分は、慎重に取り扱わなければなりません。デジタルカメラで生み出された画像は、フォトショップなどのレタッチソフトを使うことによって、いかようにも雰囲気を変えることが可能です。黒く潰れてしまったシャドー部分を明るくすることも簡単に出来てしまう。もちろん、見た目に近づけるようなコントロールであれば何ら問題ないのですが、極端にシャドー部分を明るくしてしまうと、実に違和感ある作品になってしまうのです。

 たとえば雑誌や写真集などの印刷物。写真がフィルムからデジタルに切り替わってから、印刷物のクオリティが極端に落ちた、と言われるようになりました。私の自宅にも毎月広報誌が届くのですが、それらの風景写真や人物写真を見ると、「えっ」と驚くほどひどいクオリティです。その主たる原因は、写真家や印刷会社のオペレーターが、極端に彩度やコントラストを強調したり、過剰な覆い焼きをしたりと、写真の元データをいじり過ぎているからです。特にシャドー部分を強引に明るくしてしまうと、まるでHDR画像のような奇妙な雰囲気の写真、作った感が強調されたいわゆる「デジタル作品」になってしまいます。

左側のシャドー部分を少しだけ明るくした。
シャドー部分を故意に明るくした。近年はこのような雰囲気の印刷物が多い。

 私は写真集の制作時、よく印刷会社のオペーレーターに「絶対にシャドー部分を出し過ぎないように」と指示を出します。仮にシャドー部を故意に明るくした初校が届いたら、「シャドー部分をもっと潰す」「黒を絞める」「黒を大切にする」という感じで真っ赤に赤を入れて戻します。

 そう、黒の締まり、つまり「黒」は、作品の良し悪しを決める上で重要な要素を担っているのです。私は1枚のカラー作品をプリントするときでも、常に「黒」に神経を尖らせながら作業を行うようにしています。

【次号へ続く】