【連載・写真のひみつ】第42回 構図02

バランスを整える
ときめく被写体と出会うと、構図を変えながら数枚の写真を撮ります。そのとき常に意識しているのが「バランス」です。

たとえば空に浮かぶ満月を撮るとします。この場合、画面のどの位置に月を置くのがベストでしょうか。正解はど真ん中です。上下と左右の空きが均等になるので、センターが最も座りのいい位置になります。

月を海と一緒に撮るとしたら、当然月は上の方に移動します。左右の位置は、やはり真ん中がいいでしょう。

では、月と海の風景に、船というもう一つ別の主題を入れるとしたらどうでしょうか。

早起きをしてバンクーバーの海辺を歩いていたら、海の上に美しい満月が輝いていました。しかし月明かり以上に心ときめいたのが、海上で錨を下ろして停泊している大型船だったのです。

このとき私は、月、海、船の3つの主題を線で結び、カメラのファインダーの中で直角三角形を作りました。そして静かにシャッターを切ったのです。

仮にこの風景の中に桟橋などが加わり、主題が4つになったとします。そしたらすべてを線で結び、ファインダーの中で綺麗な図形を描いてから写真を撮ります。

「アルプスの瞳」と称されるスロヴェニアのブレッド湖の小島には、聖母被昇天教会がポツンと建っています。写真集『MORNING LIGHT』の表紙を何にしようかと考えていたとき、この絶景が頭の中に思い浮かびました。私はすぐに航空券を買ってスロヴェニアに旅立ったのです。

まだ暗いうちから湖畔の桟橋でカメラを構え、朝日が出るのを辛抱強く待ちます。やがて東の空から眩しい朝日が顔を出し、小島と教会を照らしました。

このときの主題は教会です。私は画面のど真ん中に聖堂を捉え、シャッターを切りました。

そのとき運良く水鳥たちが近づいてきたのです。私は急遽カメラを右に振り、教会と水鳥たちの斜めのラインを描いて一枚の写真を撮りました。

その後、広角レンズに切り替え、眩しい朝日を捉えてみます。水鳥たちはいなくなってしまったので、主題は教会と2つの朝日です。頭の中で横向きの二等辺三角形を描き出し、空と湖の割合を半分にしてシャッターを切りました。教会のみの作品は写真集の表紙を、水鳥が入った作品は見開きページを飾っています。

主題を線で結び、ファインダーの中に美しい図形を描き、バランスのいい構図を生み出していくことは、写真撮影に慣れてこれば簡単に出来ます。主題が5つ以上になってくると、それらを結ぶ線は複雑になるので、図形は描けなくなります。そのときは、何も考えずに目の前の風景にカメラを向けるだけでいいのです。

写真集『郷愁の光』の表紙になった作品には、民家や納屋という主題が10以上あります。私はこの風景と出会ったとき、バランスのいい構図のことはあまり意識せず、画面の中にすべての建物を入れて撮ることだけを考えてシャッターを切りました。主題が数え切れないほどあるカボチャの作品も、構図のことなど全く考えず、ただカメラを向けて写真を撮っただけです。

ポツンと建つ一軒家
カナダ、プリンスエドワード島を巡っているとき、タンポポの花畑に抱かれた一軒家と出会いました。

この場合、民家を画面のど真ん中に置くと、最も安定感がある構図の作品が生み出せます。しかし私はあえて、民家を左上に寄せて写真を撮ってみました。

一つの主題をテーマにするとき、構図のバランスを最優先で考えますが、それとは別に、「主題の心」も大切にしています。

私が表現したかったのは、この切妻屋根を持つ民家で暮らす住人たちの視線です。時々、リビングの窓から色鮮やかな花畑を眺めているかもしれません。「島にようやく春が巡ってきた」「周りが随分と明るくなったな」「今年は特にタンポポの花が多いな」など、色々な考えを巡らしているでしょう。

住人たちのそんな心の内を、民家を撮ることで一枚の作品に置き換えてみたかったのです。そこで、タンポポの花畑を可能な限り広く取った構図にしてみました。

民家を左端ギリギリまで持ってくると、バランスが失われた不安定な構図になります。カメラのファインダーを覗きながら三脚の雲台を動かして微調整を行い、この位置がベストだ、思ったところでシャッターを切りました。

海沿いにポツンと空き家が建っていました。この風景も主題が一つなので、建物をど真ん中にもってきて写真を撮るのが正解です。しかし私はあえて、民家を右側に寄せて作品を生み出したのです。

主題をセンターから外して撮るとしたら、この風景の場合は民家を左側に持ってくるのが普通の流れでしょう。タンポポの花畑の作品と同じように、建物の正面側にある風景を広く取った方が、安定感ある構図の作品に仕上がるからです。ではなぜ私は民家を右側に移動したのでしょうか。

この民家が建てられたのはおそらく100年以上前、2〜3代の家族の思い出が詰まっています。しかし誰もいなくなり、後は建物が海風に晒されて自然に朽ちていくのを待つだけとなりました。私はその終焉の侘しさを、あえて建物の正面側の空間を切り詰めることで表現してみたかったのです。

このように作品に潜むちょっとした構図の拘りは、写真を撮った本人にしかわかりません。でも作品を観る側は、撮影者の意図を感じ取ることも出来るのです。

「どうして民家が右側にあるんだろう……」
「民家を斜め横から捉えているのは何故?」
「画面の中にあえて海を入れた理由は?」

個展会場では、ときどきじっくり時間をかけて1点の作品を鑑賞している人がいます。私はその姿を見掛けるたびに、もしかしたらシャッターを押したときの気持ち、構図への拘りを読み取ってもらえるのかもしれない……と、微かな期待を抱いています。

【次号へ続く】

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