【連載・写真のひみつ】第40回 「銀」と「金」について

銀色の被写体
80年代、多くの一眼レフカメラにはシルバーボディとブラックボディがありました。オリンパスOM10にも2種ラインナップされており、商品カタログのイメージ写真には、シルバーとブラックの機種が交互に紹介されていたのです。

購入時、私は迷うことなくブラックボディを選びました。黒の方が重厚感があり、何となくカッコイイと感じたからです。黒いレンズと組み合わせたときの一体感も好きでした。

銀か黒か迷ったとき、私は大抵ブラックを選びます。実は昨年買ったスマートウオッチも黒にしました。

シルバーが嫌いかというと、決してそんなことはありません。むしろ野外で写真を撮っているときは、銀色の被写体との出会いを心待ちにしています。

銀色はいたる所にあります。たとえば車にしても、シルバーのボディカラーはホワイトに次ぐ人気色だし、すべての車の車体に、銀メッキの部分がアクセントとしてあしらわれています。

数年前、車のイメージ写真を撮るという仕事が入りました。真っ赤なボディの美しさをどうやって作品化しようかと試行錯誤を繰り返していたとき、ある角度から眺めるとフロントグリルにある銀メッキの装飾が太陽光によってキラリと輝くことに気づいたのです。その光を強調して車全体を捉えることにより、車の魅力を最大限引き出すことに成功しました。そのとき私は、車体の一部にシルバーを持ってきたデザイナーの拘りを知りました。

日常の中に「銀色」はたくさんある。

「銀」の風景
自然界の中にあるシルバーは鉱物に限られます。しかし、太陽光の反射によって、水や草木がシルバーに見えることはよくあります。

快晴の日、高台に立ち、逆光で海や湖を眺めてみてください。水面で輝く無数の光と出会えるはずです。厳密にいえばその光は「白」になりますが、シルバーといっても間違いではないでしょう。

私は旅先でそんな煌びやかな光を見つけると、必ずシャッターを切るようにしています。ノルウェーのフィヨルド湖で目にした銀色の光の美しさは、10年経った今でもはっきりと脳裏に焼きついています。

オスロを出発し、レンタカーでE16号線を北上していたとき、光をキラキラと反射させる真っ青な湖と出会いました。風が吹いているため、その光はまるでオーロラのように現れたり消えたりを繰り返し、場所を移動していきます。何て神々しい光景なんだろう……と深く感動し、カメラのシャッターを切る手が震えました。

北欧の澄み切った大気がその光の艶に一役買っていたと思いますが、午前10時という時間帯も正解でした。早朝だと光が黄色くなるし、昼を過ぎると太陽の角度が変わるので、湖面に光の反射は現れなかったでしょう。風景写真は一期一会とよくいわれますが、その時ほど出会いの素晴らしさを意識したことはありませんでした。

銀色の光は風に流され激しく揺れ動いてる。この時ほど、光が美しいと感じたことはなかった。

冬もシルバーの光景を色々な場所で目にします。よく写真に撮るのが樹氷です。樹氷は白い雪が木の枝に付着したものですが、雪の部分に影が宿ることにより、遠目で見るとシルバーに見えるのです。写真に撮るとその銀色はさらに強調されます。そのため、樹氷をテーマにした作品のタイトルには、「白銀」「銀世界」という言葉をよく使ってきました。

冬の季節、最も象徴的なシルバーの被写体といえば、フリージングレイン(凍結雨)です。緯度の高い地域でも真冬によく雨が降ります。その雨が北から流れ込む寒気によって急激に冷やされると氷雨になり、氷点下の地上に落下した途端、瞬時に凍り付いてしまうのです。

このフリージングレイン、カナダでは頻繁に発生します。ノバスコシア州の片田舎を巡っているとき、フリージングレインに覆われた森を発見しました。目の前に広がる神秘的な銀世界を撮影したら、まるで極地を彷徨っているような不思議な気分になりました。作品は写真集『光ふる郷』で発表し、大きな反響を呼びました。

フリージングレイン。樹木が氷に覆われている。

金色の被写体
普段の生活の中で、金色とはあまり出会うことはありません。近年は車にもゴールドは使わなくなってきました。金色といえば、お店の看板、ドアの取っ手、お寺の鬼飾りで見掛ける程度でしょうか。

カメラにはゴールドボディはありませんが、たまにノートパソコンやスマホで薄いマット調のゴールドがラインナップされることがあります。

ゴールドはどうしても成金のイメージがつきまとうので、私自信、金色のデジタルガジェットを好んで購入することはありません。しかし過去に一度だけゴールドのスマホを所有したことがあります。シルバーのスマホが故障し、修理に出しました。修理不能で代替え品への交換になりましたが、シルバーの在庫がなくゴールドが送られてきたのです。金色のスマホを使いはじめたら、人と会うたびに、「吉村さんは光りモノが好きなんですね。意外でした」とよく言われました。

インパクトが強いゴールドを身につけると、即座にその人のイメージが形作られてしまいます。スマホの一件以来、金色の何かを所有することに抵抗感を覚えるようになりましたが、必ずしもすべての金色が苦手というわけでありません。製品にアクセントとしてあしらわれている金色は好きです。ホテルのキーにしても、金色でさり気なく部屋番号が書かれていたりすると、デザイナーのセンスのよさを感じますし、金粉をほんの少し散りばめた懐石料理はとても美しく、美味しそうに見えます。

実は写真集の制作時も、金と銀は重要な要素の一つです。表紙のタイトル文字には、よく箔押しという技法が使われます。その箔の色を「金」にするか「銀」にするか迷うことがあるのです。

写真集『LIGHT ON EARTH』のタイトル文字も、頭を悩ませました。まずは印刷会社に金と銀、両方の拍押しで文字を作ってもらいました。その二つを見比べてみたら、圧倒的に金色の方が素敵に見えたのです。表紙として採用された夕景の作品にマッチしていたし、何より写真集に高級感のようなのが宿りました。

写真集『プリンスエドワードアイランド』のときも、まずは金と銀でタイトルを作ってもらいました。採用されたのはゴールドの方です。シルバーのタイトル文字は、青空と白い雲の中に沈んでしまいました。

今まで出してきた写真集の中では、『Shinshu』は金色、『SILENT NIGHT』と『こわれない風景』は銀色の箔が使われています。金と銀の比率は半々くらいでしょうか。

タイトル文字の煌びやかな箔押しは、近年ではめっきり少なくなりました。紙の写真集自体が売れなくなってきているので、表紙にあまりお金をかけることができないのです。タイトルを拍押しにするだけでプラス10万円くらいかかります。それでもタイトルに金や銀を使いたいとき、通常のCMYK4色の掛け合わせで擬似的な金と銀を作り出しています。

金箔のタイトル文字。

風景の中の「金」
カナダを旅しているとき、朝方と夕方に金色に染まる風景とよく出会いました。

ある朝、プリンスエドワード島の北海岸の崖の上からセントローレンス湾を眺めたら、朝日によって照らされた水面が金色に輝いていました。カメラのファインダーを覗いて構図を整え、同時にロブスター漁に精を出す漁師たちの小舟をバランスよく配置します。そしてシャッターを切ろうとしたまさにそのとき、鵜の群れが横切ったのです。咄嗟にシャッターを切り、決定的な一枚を生み出すことができました。このときの「決まった!」という興奮は、金色の光の眩しさと共に、今でも心の中に残っています。

オンタリオ州セントジェイコブズを旅しているとき、色鮮やかな夕陽と出会いました。咄嗟に近くあった線路と組み合わせて写真を撮ってみます。光沢感ある鉄が金色を助長させ、まるで光輝く風景に吸い込まれていくような物語性のあるベストショットを生み出すことが出来ました。

そして何といっても印象に残っているのは、写真詩集『ゆう/夕』の表紙で使われた作品を生み出したときです。この日、激しい雨が降っていました。夕暮れ時、ファンディ湾に足を運んでみると、突然雲の切れ間から燃えるような真っ赤な夕陽が顔を出したのです。金色の光の帯が伸び、波打ち際にある濡れた石が光輝きます。シャッターを切ったとき、この作品は何かの作品集の表紙に使われるだろうという手応えを感じました。

東京の街中でも時々ゴールドの光景と出会うことがあります。ビルの谷間から射し込む朝日や夕陽が、ガラス張りのビルの側面を金色に染め上げるのです。無機質な都会の風景の中でそんなゴージャスな光景を見つけると、私の心は何故かざわつき、必ずスマホのカメラで写真を撮っています。

【次号へ続く】

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