【連載・写真のひみつ】第06回 テーマ「錦鯉」

多くの日本人が忘れていた日本の「美」
「錦鯉」という一つのテーマと出会ったのは、長崎県島原市を訪れているときでした。城下町の路地にはいくつかの水路があり、そこに何匹もの錦鯉が泳いでいたのです。錦鯉がいる水路は日本では珍しくありません。この街の水路にだけときめいた理由は、「水」にありました。

こんこんと湧き出る地下水が流れているため、水がとてもクリアなのです。そんな透明度の高い水の中を泳ぐ錦鯉たちは、まるで空中を浮遊しているようかのようでした。

長崎県島原市。赤や黄、金色の鯉たちは、太陽光に照らされてひときわ眩しく輝き、モノトーンの城下町に色彩のアクセントを与えていた。

ある日、湧水庭園四明荘の縁側に座り、目の前にある池に泳ぐ錦鯉たちを眺めてみました。赤、黄、橙、金、銀……と、実に鮮やかな色彩を持っています。ぬめりのある表皮が常に水で濡れているからでしょう、白や黒の魚たちでも艶やかに輝いて見えるのです。ゆっくりと動き回るカラフルな色彩が、日本家屋や日本庭園の美しさを引き出しているような気がしました。

私は、「錦鯉」はテーマになる、と確信したのです。

東京に戻るとすぐに錦鯉のリサーチをはじめました。錦鯉に関して書かれた何冊かの本を紐解き、歴史や生態を調べていきます。知れば知るほど、錦鯉の世界に引き込まれていきました。

錦鯉は、新潟県山古志地方が発祥とされています。江戸時代中期、この山里で暮らす人々は、冬の間の貴重なタンパク源として真鯉を飼うようになったのです。その一部は棚田に水を引く灌漑用の溜池で飼育されていましたが、ときおり突然変異で色つきの稚魚が誕生しました。娯楽が少なかった時代、村人たちはカラフルな鯉の出現を楽しむようになり、いつしか、より美しくユニークな模様の鯉の創出に情熱を燃やしはじめていました。

錦鯉発祥の地として知られている新潟県山古志。丘陵地の斜面に、棚田と錦鯉の養殖池が混在している。

この色つきの鯉が県外の人に知れ渡ったのは、1914年(大正3年)に行われた東京大正博覧会です。錦鯉と呼ばれるようになったのも、ちょうどその頃だと言われています。

昭和30年代後半、日本が高度経済成長期に突入すると、人々は競い合うようにマイホームを建てはじめました。庭に作った池で錦鯉を飼うことがブームになり、錦鯉は急速に全国へと広がっていったのです。生産者、販売業者も増えていきました。

私は、新潟県山古志村、同じく錦鯉の養殖で知られる小千谷市から取材を開始しました。

錦鯉の養殖は春先からはじまります。卵から孵った多くの稚魚は、選別を重ねるうちに、徐々に将来性のある個体だけに絞り込まれていきます。飼育は野外の大きな養殖池で行われていました。美しい色を出すには、雪解け水と土壌に含まれるミネラル成分が重要となってくるらしいのです。

「おいしい魚沼産コシヒカリを生み出すには、山林の落ち葉の養分をたくさん含んだ雪解け水が不可欠です。錦鯉もそれと同じですね」

山の中にある養殖池を巡りながら、松田養鯉場の関口さんは説明してくれます。

池上げの様子。
10月になると、すべての養殖池で池上げが行われる。濁り水が抜かれた池に養鯉業者が入り、大きく成長した錦鯉を一匹一匹慎重に抱きかかえ、水槽に移していく。

錦鯉の撮影を通して最も興奮したのは、秋に行われる池上げでした。濁り水が抜かれた池に養殖業者が入り、大きく成長した錦鯉を一匹一匹慎重に抱きかかえ、水槽に移していきます。鮮やかで煌びやかな色形を目にするたびに、深い感動につつまれました。

取材をしていく過程で、水の中で泳ぐ錦鯉たちの視線で何か作品を生み出せないだろうか……と考えるようになりました。そのとき、ハウジング(カメラを水中に入れることができる防水ケース)を使っての撮影を思いついたのです。

しかし、水中からの撮影は慎重になりました。錦鯉のような生き物は病原菌に弱いとされています。仮に、池に沈めたハウジングから何らか菌が蔓延し、その地方で飼っている一匹数百万、数千万の錦鯉が全滅してしまったら、単なる謝罪だけでは済まされないでしょう。そのため、水中撮影を行う際は、管理者立ち会いの元で、まずはハウジングや胴付長靴の消毒からはじめていきました。

水中の中から捉えた錦鯉たち。餌をもらえると思ったのか、カメラを恐れることなく近づいてきた。

広島市にある小西養鯉場も訪れました。小西社長から紹介してもらった縮景園、ひろしま美術館、庭園の宿石亭など立派な日本庭園も取材することができ、バリエーションに富む錦鯉の作品を生み出すことに成功しました。

錦鯉をテーマに全国を旅している時に気づいたことがあります。それは、錦鯉に興味を示すのは主に子どもたちであり、あとは海外からの観光客がほとんどでした。外国人は、まるで動物園で稀少な動物と接するかのように、色鮮やかで巨大な錦鯉を見て興奮し、一緒に記念写真を撮っていたのです。

もちろん日本にも、熱心な錦鯉の愛好家はまだたくさんいます。しかし今では、養鯉業者が愛情を注いで育てた高価な錦鯉の多くが海外へと空輸で送られているのが現状です。ドイツやオランダ、インドネシアでは、「NISHIKIGOI」が大変なブームになっているとのことでした。

日本には、世界に誇る素晴らしい文化がたくさんあります。しかし、この国で生まれ育った日本人の多くは、何故かその文化を意識の隅に追いやってしまうのです。私はこのプロジェクトを通し、錦鯉という「美」を再発見することができ、ますます母国が好きになりました。

写真集『錦鯉』は、2017年に出版されました。初版は300部でしたが、やはり販売面では苦戦し、4年経った今でも在庫が残っています。

一つ嬉しかった出来事がありました。ドイツから500冊もの注文が入ったのです。急遽、英語版を新たに増刷することによって対処しましたが、今、ヨーロッパの一般家庭に自分の日本文化をテーマにした写真集があると想像するだけで、何だかワクワクします。

2017年に出版された写真集『錦鯉』。魚たちが持つ色彩の鮮やかさを表現するため、光沢系の紙を使って印刷された。

【次号に続く】

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