【連載・写真のひみつ】第50回 構図10

不安定な構図
じっくりと構図を練って撮影を行うと、絵画を彷彿とさせる上質な作品を生み出せます。そのため写真教室や写真のテキストでは、「正しい構図はこうあるべき」と教えています。しかし、それが必ずしも正解でないところが写真の面白さでもあるのです。

正しいと言われている構図をあえて無視し、水平線や地平線を斜めにしたり、三分割法を壊したり、主題を画面の隅に追いやって写真を撮っても、生み出される1枚1枚は立派な「作品」として成立します。

これは、十年ほど前にアメリカ、ニューヨークで撮った写真です。歩いてマンハッタンの風景を次々と切り取っていたとき、構図のことは深く考えていませんでした。随分と背の高いオフィスビルだな、やはりイエローキャブは目を引くな、ニューヨーカーの歩くスピードは早いな……と、何かを感じた直後にカメラを向けてシャッターを切ったのです。被写体が斜めになっていたり、主題が半分切れていたりと、どの写真も失敗作のように見えますが、私はそうは思っていません。不安定な構図で切り取っているからこそ、大都会の雑多な感じが強調された「作品」になっているのです。

アメリカ、ニューヨーク
ノルウェー、オスロ

カナダ、トロントにあるCNタワーの展望台を訪れたとき、床がガラス張りになっているところで子どもたちがはしゃいでいました。面白いなと思った私は、咄嗟に首にぶら下げていたカメラのシャッターを切ります。ファインダーを覗いていないので構図はいい加減、おまけに露出アンダーのブレブレの写真です。でもこれも立派な作品です。仮に「天空の子どもたち」というような洒落たタイトルをつけ、額に入れてギャラリーに展示したら、目を引く一枚になるでしょう。失敗作であると言う人は誰一人としていないはずです。

カナダ、トロント

イタリア、ヴェネツィアには1週間ほどいましたが、毎日雨でした。歴史を感じるカラフルな建物と真っ青な運河を組み合わせた写真をどうしても撮ることができません。それでも毎日精力的に路地を歩き、シャッターを切りました。この写真は、曇り空を可能な限りカットしたいという思いから、あえてカメラを傾け、三分割法を無視して生み出しました。このような風景写真は、企業カレンダーや広告にはまず使われることはないでしょう。しかし私にとってはお気に入りの1枚になっています。ヴェネツィア滞在中のイライラしていた気持ち、どうにかしてベストショットを生み出したいという焦りが見事に作品に反映されているからです。

イタリア、ヴェネツィア

形に縛られず自由な発想で作品を生み出していくことは、私のような熟年写真家よりも、若い世代の写真家たちの方が積極的に行っています。思いっきり構図を崩す、ピントを外す、露出をアンダーまたはオーバーにする、カメラをぶらすなどして、今まで誰も見たことのない個性ある作品を生み出し、SNSなどで発表することによって、多くのファンを獲得しているのです。

適当に撮った写真でも作品として成立するとしたら、今まで語ってきたような構図作りのコツやテクニックは全く無意味なのかもしれません。しかしどんなジャンルでも、創作活動をしていく上で「基礎」は大切です。基礎を理解している人とそうでない人とでは作品に決定的な良し悪しの差が生まれるからです。

ある写真雑誌の編集長が、「過去にフィルムを使って写真を撮っていた人の方が、生み出す作品に不思議な説得力が宿る」と言っていました。私もまったくその通りだと思います。

かつて写真を撮るときに当たり前のように使っていたフィルム、いわゆる銀塩写真は、写真の基礎の固まりのようなものです。カメラの露出、シャッタースピード、感度などをおろそかにすると画像は写りません。フィルムカメラは、今のデジタルカメラのような手ブレ補正機能が搭載されていないので、ブレのないシャープな写真を生み出すのも一苦労でした。そしてどんな被写体にカメラを向けるときも、フィルムを無駄に使いたくないという思いから、完璧な構図にすることを考えてシャッターを切っていたのです。銀塩の世界は、写真の基礎をしっかりと学び、磨くことが出来ました。

私はデジタルカメラに切り替えてからも、これ以上の構図はないというくらいパーフェクトな構図で被写体を切り取るようにしています。でも稀に、正しい構図のことをあまり考えずにシャッターを切ることもあります。そのとき、「これ以上崩してしまうと自分の作品ではなくなる」とい境界線を決めています。もしかしたら、傾き一つにしても、無意識のうちに作品としての美しさを意識しながら撮影を行っているのかもしれません。

【次号に続く】

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