第56回 撮影テクニック 05

人物写真が簡単になってきた

 カメラの機能は年々進化していきます。中でも劇的に変わったのはピント合わせでしょうか。特にミラーレスカメラは、被写体にカメラを向けると瞬時に顔や瞳にピントが合います。右目と左目のどちらを優先してピントを合わせるかの選択もできる。また近年は、動体検出の精度が向上しており、たとえ人物が点景、もしくは後ろ姿であったとしてもフォーカスが追従してくれます。動いている被写体の瞳にピントを合わせることは、人物を撮り慣れたプロでさえ難しいとされてきました。でも今は、カメラを初めて使った初心者でも簡単に出来てしまうのです。

 このカメラ機能の劇的な進化は、ミラーレスカメラに限ったことではありません。スマートフォンのカメラでさえ、顔認識が搭載されています。肌を綺麗に見せてくれる「美肌モード」は標準装備となり、人の顔をより美しく見せてくれることが容易になりました。スマホ以外のカメラで写真は撮られたくないという女性が増えてきたのも、今という時代を物語っています。

 機材の頭が良くなれば良くなるほど、プロがアマに教える撮影テクニックは少なくなっていきます。現に私も、ポートレートを撮るコツを質問されたら、「まずは最新のカメラを手に入れてください」とアドバイスをするでしょう。新機能が搭載されたカメラを使うことにより、少なくともピンボケやブレによる失敗はなくなります。

優れた人物写真とは

 人をテーマにした写真は巷に溢れています。書店の写真集コーナーには有名人のポートレート写真集が並び、雑誌や新聞には必ずと言っていいほど顔写真が掲載され、写真スタジオの店頭には七五三や成人式、結婚式の記念写真が飾られています。どれも、プロの技とカメラのすぐれた機能が結集された上質な写真ばかりです。

 中でもインパクトが強いのが広告写真です。特にファッションやコスメのイメージ写真は、都心の一等地にあるスタジオで、美しく個性あるモデルを起用し、何百万もするドイツ製のデジタルカメラを使う広告専門の写真家によって生み出されています。確かにその一枚は目を引き、プロの私でさえ「どうやって撮ったんだろう……」と感心するほど高いクオリティを持っています。

 ではそれらの上質な写真が、人物写真の最高峰と言えるのでしょうか。私の答えはノーです。どんなに優れた広告写真であったとしても、写真から何も伝わってこないとしたら、素晴らしい写真と言うことはできません。

 私が考える素晴らしい人物写真とは、第三者が写真を見た瞬間に激しく心が動かされ、その後も心の中に余韻として残り続ける写真のことを言います。私は過去に一度だけそんな不思議な力を持った人物写真と出会ったことがあります。

 カナダをテーマにしていた20代の頃、ケベック州シェファービル村にオーロラを撮りに行くことにしました。カナダでオーロラと言えば、イエローナイフとホワイトホースが有名ですが、日本人観光客があふれるそれらの地を避け、一人静かにオーロラにカメラを向けることができる地に興味を抱いていたのです。

 モントリオールから出発する6人乗りのプロペラ機に揺られること1時間、ツンドラの中にポツンと位置する人口約200人のシェファービル村に降り立ちました。この地で暮らす人々の大半はイヌイットです。村内を歩いていると、よほど日本人が珍しいのか、村人たちが次々と声をかけてきます。彼らとの交流は楽しく、話をしたり、スナップ写真を撮らせてもらったりしました。

 ある日、宿のオーナーに誘われ、役場にいる村長に挨拶しに行くことになりました。役場に入ると、ロビーや階段の壁には、かつての村の暮らしの様子を伝えるモノクロ写真が何点か展示されていました。どの写真も、ピントが甘く、露出は不安定で、撮影者の技量は極めて未熟です。加えて、プリントのクオリティもあまりよくありません。現代の広告や写真集などで見る究極に美しいポートレート写真と比べたら、天と地ほどの差がありました。

 興味本位でそれらの写真を観ていたとき、1点の写真に目が釘付けになりました。眩しい夕陽に照らされた5人の村の女性が映っています。漁から戻った男達を出迎えているのでしょうか、一人一人の表情には喜びが満ちあふれており、特に真ん中にいる4〜5歳の女の子がとびきり素敵な笑顔をしています。彼女の純粋な瞳の奥に、村での暮らしの豊かさが垣間見えるようでした。

〈何て素晴らしいポートレート写真なんだろう……〉

 私は感動のあまり、その場でしばらく身動きが取れなくなってしまいました。その後、村長と話をしましたが、数分前に出会った人物写真のことばかりが気になり、内容が頭の中に入ってきませんでした。

 結局、シェファービル村には5日いましたが、残念ながら毎日曇り空で、オーロラと出会うことは出来ませんでした。でも私は、わざわざ辺境の地にやってきたことを後悔はしていませんでした。なぜなら素晴らしい人物写真と出会うことができたからです。

 なぜその一枚に写真に心が奪われたのかーー。帰国してからどんなに考えても、答えを見つけ出すことはできませんでした。一つだけはっきりしていることは、被写体となっている村人たちは、写真を撮られていることを全く意識していないということです。おそらく撮影する側も、いい写真を撮ろう、美しい写真を生み出そう、ということは考えず、村で暮らす村人たちの日常をそっと記録するような感じでカメラのシャッターを切ったのでしょう。そう、その作品は、まさに偶然がもたらしてくれたものです。一瞬を切り取る写真の奥深さを改めて思い知らされました。

 あれから30年という月日が流れましたが、いまだにあの作品を超えるような「心」を持った人物写真とは出会っていません。そして、いつかあの作品のような人物写真を撮ってみたいと夢見ている自分がいます。

【次号に続く】