特別な時間
風景作品のベストショットは、よく朝の時間帯に生み出されると言われています。私も海外を旅しているときは必ず早起きをしてフィールドへと出掛け、朝が見せてくれる様々な表情にカメラを向けています。
朝日と夕日は色味が異なります。朝日は黄味が、夕陽は赤味が強くなる。光は赤より黄の方が優しく感じるので、その違いが風景作品にも反映されます。例えば白い民家を撮ったとします。朝の黄色い光に照らされていた方が、作品に清涼感のようなものが宿るのです。
朝は思わぬ自然現象を連れてきます。霧や靄は代表格ですが、私は中学生の頃から、もう一つ別の美しさに惹かれていました。
2階にある自分の部屋の窓から、高ボッチ山を一望することができました。普段山肌は濃い緑の樹木に覆われていますが、冬の朝、突然山頂付近の山肌がパウダーをまぶしたかのように真っ白になることがあるのです。よく晴れた日に現れる現象なので、雪ではありません。
冬休みに高ボッチ山に登ったとき、その白さの原因は「樹氷」であることを知りました。それからというもの、松本や塩尻市内から山を眺めるたびに、「今日は霧氷が綺麗だな」「写真を撮りに行きたいな」と思うようになりました。
カナダのプリンスエドワード島で暮らしていた頃は、「朝露」に惹かれていました。よく晴れた朝は、決まって足下の草に朝露がつきます。朝日に照らされるとキラキラと輝き、まるで大地に宝石が散りばめられたようになります。私は靴が濡れることを気にせず、草むらの中を歩いてたくさんの写真を撮りました。
朝の不思議な力
そんな朝の美しさをテーマに何年も撮影を続けていたら、朝にはただ美しいだけでない不思議な「力」が隠されているような気がしてきました。
澄み切った大気の中で、地上のすべての生命が光の恵みとともに再生していく姿を見つめていると、昨晩まで感じていた心の悩みや戸惑いがフッと消え去り、今日も一日頑張って生きてみようという活力のようなものが漲ってくるのです。
そんな朝の力に惹かれはじめたとき、「世界の朝を撮ろう」と心に決め、写真集『MORNING LIGHT』の企画が芽生えたのです。
世界の朝を追い掛ける前に、今までの旅のスタイルに少しだけ変更を加えました。それまでは、夕陽が沈み一番星が瞬きはじめるまでフィールドで撮影活動を行っていましたが、それをすると宿に戻るのは23時頃で、部屋で撮影データのコピーや取材メモの整理をしていると、ベッドに入るのは1時過ぎになってしまいます。当然、早起きは出来ません。
そこで、夜型の生活に終止符を打ち、毎日日付が変わる前には寝るようにしたのです。たとえ天気が悪い日でも、朝は3時半に置きて撮影に出掛けるようにしました。
真っ先に訪れたのは、アメリカのポートランドにあるエリザベス岬です。ここには形のいい灯台があり、大西洋から昇る朝日を望めるベストスポットとして知られています。新しいプロジェクトのはじまりにはぴったりの場所でした。
街中のモーテルを3時半に出て、岬へと車を進めます。そして岬の先端でカメラを構え、空が明るくなるのを待ちました。水平線にオレンジの光が宿り、空が真っ青に染まった瞬間、最初の一枚を切ります。この時に生みだした「朝」の作品は、後に写真集『Moments on Earth』の表紙を飾りました。
その後、あたりは急速に明るさを取り戻していきます。程なくして、白い水平線から射るような眩しい朝日が顔を出しました。冬の季節だったため、残念ながら灯台と朝日を組み合わせて撮ることは不可能でしたが、真っ白な灯台が黄色い朝日に照らされた光景を1枚の作品にすることが出来たのです。(写真集『MORNING LIGHT』28ページ)
同じ場所から朝日に染まる海にカメラを向けていたとき、ファインダーの中に一隻の漁船が入りました。そのとき私はハッとしました。この日のとびきり美しい朝の表情を独り占めにしていた私は随分と得意気でしたが、この海で働く漁師の存在に気づいたのです。彼らは言うでしょう。「今日の朝日なんかたいしたことはないさ。もっと素晴らしい朝の表情がある」と。
地元で暮らし、自然の中で働いている人には叶わない、と素直に負けを認めました。謙虚な気持ちになれることも、朝の魅力の一つです。
以前から訪れてみたかったペルーのマチュピチュにも足を運びました。遺跡を捉えた風景写真は巷には溢れていますが、朝の光に照らされた遺跡の写真はまだ見たことがありません。だからこそ撮りたいと思ったのです。
山の中にある遺跡はバスで行くことになります。調べてみると、麓の町を出る始発バスは5時が始発でした。
3時に起き、暗い夜道を歩いてバス乗り場に行ってみます。何とそこには20人を超える観光客が並んでいました。5、10分と経過するにつれ、列はどんどんと脹らみ、瞬く間に100人を超える大行列となります。
バスは定刻通りに出発、葛折りの険しい山道を登り、人々をマチュピチュへと運んでくれます。
40分後、バスは遺跡のゲート前に到着。すでに空は明るくなっています。やきもきしながら待っていると、7時ぴったりに門が開き、遺跡へと入ることが出来ました。私は駆け足で遺跡が一望できる見晴台へと向かいます。
15分後、山の稜線からキラッとした眩しい朝日が顔を出しました。遺跡がゆっくりと黄色い光に照らされて、石積みの建物の立体感が強調されていきます。その光景はあまりにも神秘的で、感動のあまりシャッターを押す手が震えたほどです。(『MORNING LIGHT』54〜55ページ)
この日、マチュピチュには夕方までいました。また翌年も、広報誌の仕事でマチュピチュを訪れ、様々な角度から遺跡の撮影を行いました。しかし、朝日に照らされた遺跡を越える感動とは出会うことはなかったのです。
カナダ、ローレンシャン高原の秋をテーマにしていた時も、朝の時間帯は必ずフィールドで撮影を行いました。
この地の定宿は、湖の畔にあるB&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)です。オタワからこの地に居住したスザンヌおばさんが経営する民宿で、朝は手作りの朝食がつきます。しかし私は、朝日の撮影を優先したため、その朝食を断ってばかりいました。
ある日、目覚まし時計の電池が切れ、寝坊してしまいました。撮影を諦め、朝食を取ろうとダイニングに入ったら、テーブルに眩しい朝の光が射し込んでいたのです。その光は紅葉した森に負けないくらい眩しく、色鮮やかでした。また、スザンヌおばさんが用意してくれた手作りパンとスクランブルエッグはとても美味しかったです。
自然の朝の美しさばかりを追い求めていた私は、この格子の窓から差し込んだ光にこそ、ローレンシャン高原の朝の魅力が隠されていることに気づきました。シャッターを押した直後、写真集では必ずこの一枚を発表しようと心に誓ったのです。(写真集『MORNING LIGHT』37ページ)
世界の朝をまとめた写真集『MORNING LIGHT』は、2017年に出版されました。制作過程でのこだわりは、朝の美しい風景写真の中に、必ず朝の人絡みの「物語」も散りばめるということです。フォヨルド間を移動するフェリーの甲板に佇む青年、ブッダガヤーで祈りを捧げる仏教徒たち、納屋で馬に鞍をつけるカーボーイ、雨の日にスクーターに乗って通勤する人々、そしてスザンヌおばさんが作ってくれた朝食……。
朝にカメラを向けるとき、「光」や「色」を上手く撮るという撮影テクニックはそれほど重要ではありません。朝という時間帯をどのように感じ、受けとめられるか。そんな心の内をストレートに作品に置き換えることが出来たとき、人に感動を与える朝の作品が誕生するのです。
【次号へ続く】