上五島は五島列島の北部に位置し、7つの有人島と60の無人島から構成されています。複雑で変化に富んだ地形、白砂の海浜が多く点在し、その色彩豊かな美しい自然は人々の心を魅了します。
禁教の時代、五島列島には、約3000人ものキリシタンが移り住みました。迫害の時代が終わりを告げると、教会が次々と建立されていったのです。上五島には、歴史遺産としても貴重な29の教会があり、信者たちの祈りの場として大切に受け継がれています。
私は今から12年前、「日本のセンス」をテーマにこの国を巡っていたとき、初めて上五島と出会いました。複雑で変化に富んだ地形に素朴な集落が点在し、海辺には教会がポツンと建っている……。まるでヨーロッパの片田舎を彷彿とさせる景観に強く心が奪われました。
幾つかの教会にも立ち寄ってみました。日本の職人の技が生かされた彫刻やステンドグラスの繊細な美に感動し、また、案内板の解説を読むことにより、禁教の時代、この地に移り住んだキリシタンの苦悩を知り、強い衝撃を受けたのです。夜ホテルの部屋で、五島列島の歴史や文化について書かれた本を紐解いたことを覚えています。
上五島をテーマにしようと決め、東京から足を運ぶようになりました。2014年は4回も訪れ、撮影を行っています。
2016年、写真集『KAMI-GOTO 五島列島上五島 静かな祈りの島』を出版しました。今回は、写真集の中から特に思い入れのある作品を発表します。
大正14年(1925年)建立、大崎八重神父により祝別された中ノ浦教会。静かな入江の畔に建つ教会の美しい佇まいは、ヨーロッパの片田舎の風景を彷彿とさせます。木造建築ではめずらしい高い鐘塔を持っています。
若松島の切り立つ崖にあるキリシタン洞窟。キリシタン迫害の際、付近のカトリック信者が隠れ住んだ場所です。昭和42年(1967年)、高さ4mの十字架と3.6mのキリスト像が建てられました。
やぶ椿の花。花が満開になるのは1月中旬〜2月中旬。上五島特産の椿油は、種45粒から大さじ約1杯しか摂れない貴重なものです。
仲知教会は、昭和53年(1978年)に、70数戸の信者による多額の拠出と労力奉仕によって建立、献堂されました。ステンドグラスは、サッシ施行者大島博徳氏がイタリアからグラッシュー氏を招いて計画、平成7年に完成しました。仲知の漁師の姿も描かれています。
中通島と若松島を結ぶ全長522mの若松大橋。龍観山展望所から一望できます。滞在中はよくこの場所に足を運び、美しい入江の風景にカメラを向けました。
洋型木造帆船ワイル・ウエフ号が遭難した潮合崎沖を望む広場には、「龍馬ゆかりの地」と記された石碑と舵取り棒のレプリカ、志士たちの冥福を祈る龍馬のブロンズ像があります。
頭ヶ島天主堂。外観の重厚さとは異なり、内部は折り上げ天井に花柄をあしらった優しい雰囲気があります。天井やステンドグラスには、ユリやツバキのような装飾が施されています。
青方港の高台に聳え建つ大曽教会。明治12年(1879年)に木造教会が建立、現在の煉瓦造りの教会堂は、3年の月日を要して、大正5年(1916年)に竣工しました。
急斜面を形成している中腹に位置する江袋教会(明治15年、1882年に建立)。この教会の鐘楼と夕陽を重ね合わせた写真が、よく観光ポスターやパンフレットなどで使われています。
浜串漁港入口の岬の突端にある希望の聖母像。港を出入りする船の安全と豊漁を祈願して、昭和29年(1954年)に建てられました。1ヶ月の遠洋漁業から戻った信徒は、家族そろって感謝の祈りを唱えるといいます。
上五島の最高峰(標高439.2m)三王山から若松島方面を望みます。三王山展望所は、細い林道を車で20分ほど走り、山道を30分ほど歩くと、展望所に到着します。