難しいスナップ写真
写真にはさまざまな撮影ジャンルがあります。中でも特に作品を生み出すのが難しいとされているのが、人をテーマにしたスナップ写真です。
たとえば道の向こうから、素朴でいい感じのお爺さんが歩いて来たとします。擦れ違いざま、カメラを構えて写真を撮ってみてください。おそらくお爺さんは驚き、何らかの拒否反応を示すでしょう。気性の荒い人だったら、「何で勝手に写真を撮るんだ!」と怒り出すかもしれない。また、この大胆不敵な撮影スタイルが防犯カメラによって記録され、その映像がネットで拡散したとしたら、撮影者には批判が殺到することでしょう。そう今の時代、あまりに自分勝手な撮影行為は許されないのです。
「写真は撮ったものが勝ち」と言われていた時代もありました。私は上京したての頃、四谷にある夜間の写真学校に2ヶ月ほど在籍しましたが、そこはドキュメンタリー写真を突き詰めていくようなカリキュラムが組まれており、野外での撮影実習がよく行われていました。
ある夜、新宿歌舞伎町で人をテーマにした作品を生み出す、いう課題が出されました。私を含む15人ほどの生徒は、勇気を振り絞って夜の街に屯する人にカメラを向けていきます。当然、「おまえ、いまオレを撮っただろ」と胸ぐらを掴まれたり、カメラの裏蓋を強制的に開けられてフィルムを感光させられたり、カメラやレンズを壊されたりするトラブルが多発しました。そんな過酷な状況の中から、ドキュメンタリー写真とは何か、を学んでいったのです。
当時は、満員電車の中で次々とシャッターを切ることができたらプロとしてやっていける、と言われていた時代です。写真家であれば、たとえ路上で過激なヌード撮影を行ったとしても、世間は許してくれました。
私自身、さすがに繁華街にいる怖い人にカメラを向けたり、電車内で写真を撮ったりする勇気はありませんでしたが、それでもかなり大胆なスタイルで人物を切り取っていたことは事実です。道で擦れ違う人にカメラを向けることはよくありました。
当時たくさんの人物作品を生み出せたのは、カナダをベースに撮影活動を行っていたからかもしれません。カナディアンはおおらかな人が多いので、突然カメラを向けても気さくに応じてくれました。
もちろん今でも人物の撮影は積極的に行っています。でも事前に「写真を撮ってもいいですか?」と声をかけ、許可をもらうようにしています。そして生み出した写真は、後日プリントして送ります。ネットには顔写真をアップしないで欲しいとお願いされたら、その約束を忠実に守ります。
人の後ろ姿を撮る
今も昔も結構ハードルが高い人をテーマにしたスナップ写真ですが、実はもっと気軽に人を撮る方法もあるのです。それは、後ろ姿を狙うことです。
背中は人生を物語る、とよく言われます。正面から撮るよりも、背後から狙った方が、説得力のある作品に仕上がることもあるのです。
ポルトガルのオビドスを訪れたとき、後ろからコツコツと靴音を立ててお爺さんがやって来ることに気づきました。私はすかさずその場に中腰になり、石畳みの道と白い建物にカメラを向けます。そしてお爺さんがファインダーに入り込んだとき、シャッターを切りました。この作品はお気に入りの一枚となり、写真集『PASTORAL』のページを飾り、2022年度版のカレンダーにも使いました。
初の人物写真集となる『RESPECT』には、後ろ姿を捉えた作品を11点発表しています。
フェリー乗り場の駐車場に老夫婦がいました。足の悪い奥さんを気遣うようなゆっくりとした足取りです。「愛」を感じ取った私は、すかさず首からぶらさげていたカメラで写真を撮りました。
ケベックシティのノートルダム大聖堂に入ると、祭壇の前で仕立てのいいスーツを着た男が祈りを捧げていました。仕事で失敗でもしたのだろうか、身内に不幸でもあったのだろうか……。そんなことを思いながら、背後から静かにシャッターを切ったのです。「祈り」を作品に置き換えることができました。
人は、後ろ姿だけではありません。手、足、目、鼻、口など、パーツだけ撮っても絵になります。
リンゴの里アナポリスヴァレーをテーマにしていたとき、たくさんの地元の人の写真を撮りました。いつか日本で写真集を作るために写真を撮っているんです、と説明すると、誰もがすぐにOKを出してくれました。
ある秋晴れの日、リンゴ園で収穫に勤しむ若者と出会いました。バンクーバーから出稼ぎで来ているとのこと。木に登って手を動かす彼をカメラで追っていたら、ふと彼が履いている靴に目がとまりました。私は足だけで画面構成を行います。収穫の秋を感じる作品になり、後に出した写真集『林檎の里の物語』の1ページを飾りました。
人にカメラを向けるのが苦手な人もいるかもしれません。そんなときは、人の後ろ姿やパーツを狙ってみてください。ベストショットに繋がるはずです。
【次号へ続く】