空が黒くなる時間
「夜」とは、日の入りから日の出までの時間帯のことを指します。しかし、マジックアワーやブルーモーメントを好む私は、夜の時間帯を勝手に「空が黒い時」にしています。
夜は毎日訪れるので、昼と同じような感覚で写真を撮ることも可能です。でも33年間の写真人生の中で、夜に生み出した作品はほんの一握りしかありません。その多くがクリスマスのイルミネーションをとらえたものです。夜にあまりカメラを向けないのには、二つの理由があります。
一つは、夜と出会う機会が少ないからです。私がテーマとして追いかけているカナダやヨーロッパの緯度が高い地域は、特に夏場、夜の時間帯が極端に短いのです。21時半頃に夕陽が沈み、あたりが完全に暗くなるのは22時半頃、朝は4時頃から明るくなります。つまり一日の中で空が黒くなるのは5時間ほど。この時間帯は疲れ切って宿で寝ていることが多く、写真を撮ることができません。
もう一つの理由としては、私自身、夜の作品にあまり魅力を感じていないからです。完全に暗くなってから写真を撮ると、外灯や自動車のヘッドライトばかりが強調され、光が当たっていない部分は黒く潰れてしまいます。あたりにほんのり明るさが宿るブルーモーメントの方が、地上にあるすべてのものをはっきりと写し出すことができるので、作品のメッセージ性が強調されるのです。だからいつも、ブルーモーメントが終わったら撮影を切り上げて宿に向かっていました。
夜とは何となく距離を置いていた私が、過去に一度だけ夜を求めて旅したことがあります。それは、写真詩集『ゆう/夕』を制作していたときです。
写真詩集『あさ/朝』の姉妹版となるこの本は、西の空に夕陽が沈み、マジックアワー、ブルーモーメント、そして夜になるという時間の流れを、16カットの作品によって伝えていくという構成でした。
作品選びをしていたとき、15カットはすぐに決まったのですが、最後を飾る夜の作品、つまり「黒い作品」がありませんでした。そこで私は、夜を撮りにカナダへ旅立つことにしたのです。行き先はノヴァスコシア州にある世界遺産ルーネンバーグ。丘の斜面に建つ切妻屋根の民家が、空と海に抱かれているという独特の景観を持つ港町です。夜の雰囲気を伝える作品を生み出すにはぴったりの場所でした。
入江の対岸に三脚を立て、雲台に中判銀塩カメラを固定します。夕陽が沈んだ直後から写真を撮りはじめ、空がピンクから紫、そして群青へ移り変わる色彩の変化を、軽快なシャッター音と共にフィルムに記録していきました。
22時20分、空が完全に黒くなり、あたりは闇に包まれました。絞り優先オートからB(バルブ)に切り替え、撮影を続行します。明かりが乏しいので適正露出はわかりません。そこで、15秒、30秒、1分、2分、3分とシャッターを開ける時間を変えて写真を撮りました。
帰国後、現像済みのフィルムを見たら、ルーネンバーグの夜がイメージ通りに記録され、立派な一枚の作品になっていました。18枚目の作品として採用され、写真詩集『ゆう/夕』を出版することができたのです。
雨の夜
実はそれからも、夜を積極的に撮るようなことはありませんでした。しかし2017年秋に行ったスロヴェニアの旅で出会った夜の光景は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
アドリア海沿岸の街イゾラに滞在していたとき、天候が崩れて激しい雨になりました。朝から傘をさして街中を巡りますが、なかなか手応えのある写真を撮ることができません。焦った私は、夕食後もホテルから抜け出し、被写体を求め街中を歩き回りました。
たとえ雨でも、マジックアワーとブルーモーメントの時間帯はやって来ます。広場に三脚を立て、教会や銅像などの写真を撮りましたが、「決まった」と思える作品は生み出せませんでした。
その後、夜の帳が下ります。そのとき私は、街全体が急に鮮やかになったことに気づいたのです。その訳はシンプルでした。暗くなることにより、雨で濡れた石畳に映り込む街灯や窓明かりが、より強調されるようになったからです。
〈雨の夜は何て美しいのだろう……〉
私は興奮し、写真を撮りはじめました。レストランやホテル、係留された漁船、灯台などから発する光と、雨で濡れた路面を組み合わせ、次々と夜の世界を切り取っていきました。
スロヴェニアには2週間ほど滞在し、各地でたくさんの風景と出会いました。晴れの作品もたくさん生み出すことができたのですが、不思議とイゾラの雨の夜の作品に惹かれています。
カメラ付きのスマートフォンの普及によって、誰もが気軽に写真を撮り、その写真を発表して共有できるようになりました。今の時代、巷にはたくさんの写真があふれています。私の第二の故郷カナダのプリンスエドワード島をネットで検索すると、数万枚の風景写真がヒットします。では、プリンスエドワード島の「夜」の写真はどうでしょうか。検索してみると2〜3枚しかありません。
夜の世界には、写真表現の深い鉱脈が眠っているような気がしています。スロヴェニアで「夜の雨」という一つのテーマに気づいたとき、ぼんやりとそんなことを考えました。
【次号に続く】