【連載・写真のひみつ】第10回 テーマ「信州」

生まれ故郷信州をモノクロームで撮る
20代の頃、松本の実家には年に1〜2度里帰りする程度でした。故郷にそれほど関心がなかった理由の一つに、松本平、安曇野の風景にときめかなくなっていたからです。社会の発達、人口の増加とともに、人の住む場所は拡張され、交通網も整備されて、緑につつまれた素朴な田舎の雰囲気は年々失われていきました。帰郷し、国道沿いに建ち並ぶ大型チェーン店越しに北アルプスの山並みを眺めると、なぜか不思議な脱力感を覚え、こんな風景にカメラを向けても仕方がない、とすら考えていたのです。

でも写真家としてキャリアを積んでいくと、風景に対する自分の固執した考えに少しずつ変化が生まれてきました。日本はどの町や村を訪れても、新しいものや古いもの、洋風や和風など、ありとあらゆるものが混合しています。もしかしたら、この一風変わったスタイルこそが、日本の一つの文化であり、個性であるのかもしれない……と思いはじめてきたのです。

ある年、私は生まれ故郷「信州」をテーマにし、作品集を作ることに決めました。そのとき真っ先に考えたことは、「故郷をどのように撮るか」です。

信州をテーマにした作品集はすでに山ほど形になっています。今までにないものを生み出したいと願ったとき、「モノクロームで撮る」というアイディアが閃きました。白黒写真になると、自然が持つ鮮やかな色彩に惑わされることなく、対象物の本来あるべき姿形を確実にとらえ、新しい表現ができると思ったからです。加えて、3000m級の山々が連なる信州のダイナミックな自然と、モノクロフィルム特有のやわらかな表現力とを組み合わせることにより、斬新な作品世界が生み出せるような気がしました。

安曇野の美しい田園風景

私はイタリア取材が終わるとすぐに信州へと旅立ちました。まずはウォーミングアップを兼ね、中信から北信へと移動し、田園風景や花畑、アルプスの山並みにカメラを向けていきます。

次々と写真を撮ることができるのですが、なかなか「よし、決まったぞ」というような手応えがありません。写真愛好家なら誰もが撮る信州の美しい風景を、ただモノクロームにして撮っているだけ、という感じでした。

その時ふと頭の中に思い浮かんだのが、写真に興味を覚えた高校生の頃の自分の姿でした。雑誌のフォトコンテストで入賞して賞金を得ることに必死だった私は、「他の高校生とは異なる視点で撮る」ことを念頭に置きながら信州の風景にカメラを向けていたのです。

冬休み、樹氷の写真を撮るためにバスで美ヶ原高原に行きました。樹氷は確かに美しかったのですが、「フォトコンテストでは当たり前過ぎて落ちるな……」と思うとなかなかシャッターが押せません。その時、面白い被写体を見つけました。電波塔です。美ヶ原の山頂にこんなにもたくさんの鉄の構造物があることに驚き、いつも観ているテレビの電波はここから送られてくることに感動しながら何枚も写真を撮りました。

〈若かった頃の方が純粋だった気がする……〉

私は思い切って、「信州の風景はこうあるべき」という固定観念を捨てることにしました。どの地を訪れても、面白いな、不思議だな、美しいな、素敵だな、という純粋な子ども心を大切にし、そしてハッとする何かと出会うと、カメラを構えで撮影するようにしたのです。

2回目の信州取材は、まずは「松本城」に足を運びました。

お堀の外側から城全体を入れて撮るアングルが有名です。誰もが写真を撮るその場所はあえてパスし、埋橋の方へ行ってみました。真っ赤な橋をモノクロームで撮ることに面白さを見出したのです。この風景も当たり前過ぎるかな……と思いながらもワンカット撮影します。その後、駐車場に向かって歩いていたら、客待ちのタクシーが目にとまりました。何と黒いタクシーが、カラス城と呼ばれる黒い城の前に停まっていたのです。この偶然が「面白いな」と思い、写真を撮りました。十分な手応えを感じます。

松本城と客待ちのタクシー

下諏訪にある「万治の石仏」に行ってみました。画家の岡本太郎氏、作家の新田次郎氏が感嘆したことで一躍脚光を浴びた巨大な石仏です。この日、珍しく観光客は一人もいませんでした。私は石仏の前にカメラを設置し、撮影に取り掛かります。ファインダーを覗いて構図を決めたとき、「まてよ」と思いました。今まさに撮ろうとしている石仏の切り取り方は、先ほど観光案内所でもらったパンフレットの写真と全く同じだったからです。かといって、限られた場所なので異なる構図が思い浮かびません。私は万治の石仏を撮ることを諦め、カメラをバッグにしまいました。せっかく来たのだからお参りをして帰ろうと思い、まずは案内板に書かれていた「お参りの仕方」に目を通します。

1、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますよに」と心で念じる
2、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
3、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する

石仏を時計回りに回りはじめたときです。斜め後ろから眺める石仏の姿に、「あっ」と心が動きました。私は即座にお参りを中断し、カメラを構えます。構図を決め、シャッターを切ったとき、「よし、決まった」と小さく叫びました。

万治の石仏の後ろ姿

かつて信州人が海水浴に行くと言えば、だいたい新潟の海になりました。父の実家が高田ということもあり、我が家も夏休みは新潟へよく足を運んでいたのです。今は高速を走れば2〜3時間で着いてしまいますが、当時は犀川沿いに延びる国道19号線を北上するしかなかったので、移動だけでも丸一日掛かりました。途中の楽しみは、信州新町で食べるジンギスカンです。

そんな食の思い出がある信州新町で何か心に響く被写体がないだろうか……と探していたら、とてつもないものを発見しました。恐竜ディプロドクスの実物大復元模型です。信州新町化石博物館の前に置かれていたのです。

スマホで博物館のことを調べてみました。西沢勇氏の6000点にも及ぶ化石コレクションをはじめ、世界53カ国から集められた三葉虫やアンモナイト、魚類、植物、貝類の化石が展示されているとのこと。私自身この博物館のことを全く知らなかったのは、開館が1993年だったからです。確かその頃はカナダで暮らしていました。

早速、ディプロドクスにカメラを向けたのですが、全体像を撮ろうとすると恐竜が小さくなってしまうので、全く迫力が感じられません。そこで、思い切って胴体だけで絵作りし、恐竜の首から上をカットすることにしました。別に恐竜の説明写真を撮っているわけではないので、恐竜の一部分だけでも全く問題なかったのです。シャッターを切った瞬間、「これは決まったな」と思いました。

ディプロドクス生態復元模型

中央道を走り、諏訪盆地に差し掛かると、突然、右前方に都会的な建物が現れます。これは何だろうと調べてみたら、「カンデオホテルズ茅野」といことがわかりました。そのとき私は不躾にもこう考えたのです。

〈茅野にこんな立派なホテルを造って、経営は成り立つのだろうか……〉

ホテルを意識するようになってから、中央道を走るたびに建物が気になって仕方ありませんでした。窓明かりがついているので今日は満室なんだなとか、最上階にあるお風呂は天然温泉なんだろうかとか、部屋にあるシモンズのマットレスはどの価格帯を使っているのだろうとか、どうでもいいようなことばかり考えてしまうのです。ある時、これも一種のときめきだと思い、ホテルの写真を撮ることに決めました。

諏訪バイパス沿いのカンデオホテルズ

カンデオホテルズ茅野と同じ感覚でとらえた写真が、「ファッションセンターしまむら」です。

信州だけに限ったことではありませんが、地方を旅していると必ず目に飛び込んでくるのがファッションセンターしまむらです。この店舗は私にとって、「ここから地方のはじまりです」というアナウンスのようなものでした。そんな意味からも、ファッションセンターしまむらは、信州を語る上では避けて通れない被写体だったのです。長野市に滞在していた私は、まずはグーグルマップで近くのしまむらを検索します。そして順々に訪れ、最も絵になる長野駅前店を選んで撮影を行いました。

ファッションセンターしまむらの夜景

もちろん、高校生の頃によくカメラを向けていた被写体も撮りました。

自宅から3キロほど離れた場所に、NTTの巨大な電波塔があります。子どもの頃、この塔を眺めるたびに「カッコイイな」と思いました。だからカメラを手にした高校生の頃は、何度もこの塔の写真を撮っていたのです。その電波塔は、25年経った今でも同じ場所に屹立していました。私は近くのオートバックスの駐車場に車を停め、カメラを担いでアングルを探します。塔の大きさを強調させるため、手前に民家を入れたアングルにしてみました。そしてシャッターを切ろうとしたとき、おじさんが声を掛けてきます。

「なに撮ってるだ?」
「電波塔です」
「あんた会社の人?」
「いえ、写真家です。今、信州の風景をテーマに旅をしているんです」
「こんな塔が絵になるかや? 芸術家は変わりもんが多いね」

おじさんは近所に住む方でした。建設時、かなり深い穴を掘り土台をしっかりと造ったのでこの付近の井戸水がすべて枯れてしまった、という裏話を聞かせてくれました。

NTT東日本の電波塔と民家の庭木

常に人とは違った視点を心掛け、信州各地で出会った「ときめき」や「ひらめき」などを撮影していたら、いつしか3年の月日が流れていました。

ある日、生み出した500点あまりの作品を信濃毎日新聞社の編集者に見せたら、トントン拍子で写真集の出版が決まります。4×5inch大型カメラ+モノクロフィルムの良さを引き出すため、写真集は30cm×29cmの大きな判型、モノクロ2色印刷、全ページにニス引きをするという豪華仕様です。「Shinshu」というタイトル文字は、青森に住む友人の書道家、菊池錦子さんに依頼しました。NHKの大河ドラマ「篤姫」のタイトル文字を手掛けた人気作家です

作品集『Shinshu』が出版されると、出版社は大々的な広告を打ちました。私の方では、長野市「ホクト文化ホール」、佐久市「ギャラリー紙蔵歩」、東筑摩郡山形村「朝日美術館」での写真展、そして各地で精力的に講演会やサイン会を開催します。

しかし、写真集の売れ行きはいまひとつでした。

過去に前例のないものを生み出したとしても、その新しい世界をスッと受け入れてくれる人はまだ少ないのが現状です。また、私自身とても勉強になったのは、一般の人たちのモノクローム写真の受けとめ方です。写真に携わっている人たちは、モノクローム写真と言えば、作家のメッセージ性が色濃く反映される「写真の原点」になるでしょう。しかし一般の人にとっては単なる「白黒写真」なのです。写真展の会場ではよくお客さんからこんなことを言われました。

「この写真、何で色がないの?」
「昔の写真みたいでつまらない」
「写真展をやっているって信毎に書いてあったらわざわざ来たのに、何で白黒なの?」
「信州はカラーで撮らなければダメですよ」

写真集『Shinshu』は賛否両論がありましたが、私は、私なりのアイディアで信州の作品集を形に出来たことに満足でした。今後、多くの写真愛好家が、「美しい自然風景」から脱却し、そして思いも寄らなかったスタイルで信州から作品を生み出してもらいたいです。そんな作品世界が主流になったとき、私が生み出した『Shinshu』が注目されるのかもしれません。

写真集『Shinshu』(信濃毎日新聞社・定価2600円+税)

【次号へ続く】

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